去る9月18日(月・祝)に奈良県大神神社(おおみわ神社三輪さんとも呼ばれる)にてワンデーリトリートを開催しました。
お天気にも恵まれ、暑すぎず、寒すぎず、何より雨にも降られずに三輪山に登る事が出来ました。
横須賀から私の尊敬する鍼灸師の先輩「カツさん」が来てくれてオープンダイアローグを使った対話を参加者の皆さんと体感いただきました。
参加者には同じ傾聴を学んでいる鍼灸師の「松っさん」も来てくれて、参加者のはずなのに、沢山助けていただきました。
そもそも、リトリートとはなんぞや?という方もいらっしゃると思いますので、説明しますと・・・
普段の生活から離れて自分を内省する事を体験してもらうのがリトリートの目的です。
どこに行って何をするのかが普段、私たちが良くする旅行だったりしますが、リトリートはどこかに行く事、何かをすることが目的ではありません。普段の生活から離れる。それが目的です。
今回は日程は決まっていたものの、急遽リトリートの内容を変えて実施したので、個人的にやる直前までドキドキしていました。
私のやりたいリトリートが伝わるのか・・・そんな風にも思っていました。
実際、山に登る時は参加者が一人ひとり自分の力で山に登らなくてはいけません。参加者の中にはちゃんと登れるかな・・・と不安になっている方もいらっしゃましたし、登拝という行為そのものが不安になっていた方もいらっしゃったように感じます。
それぞれが一緒に登り始めるのですが、一人ひとり自分のペースで登っていく。
ただそれだけなのですが、頭の中では色々な声が巡ります。私もそうでした。考え事や色々考えているとどんどん呼吸が浅くなり、息が苦しくなってきます。ギラギラした夏の日差しではないものの、やはり足は痛い、そして全身汗でびしょびしょです。
不安なことや嫌な考えが頭の中で巡る時、フッと心地よい風が吹いて我にかえる瞬間があったり、頭に「コツン」と木の実が落ちてきたりしました。そのコツンとした衝撃はまるで神様にこらこら、足元を見なさいと叱られているような感じで、大人なのに子供がたしなめられた時のような気持ちになったりしていました。
オープンダイアローグという対話での時間では最初にそれぞれの登拝の感想を一文字で求められました。流、清、生、過などの言葉が出てきました。
私は「然」でした。
自然という言葉は後から「しぜん」と呼ばれるようになり、もともと自然(じねん)という考え方があって、「自ずから然(しか)らしむ」、「あるがままの状態」を意味しているそうです。そこに在る。という状態が然という言葉の意味だと思っていて、そのことを思い起こさせるのが私の今回のリトリートで感じたことでした。
どうなりたいか、どうすべき、それ以前に自分がここにいる。その事を思い起こされるそんな時間でした。
登拝中はそれぞれが静かに山を登っていたのですが、目線や足取りで一緒に登る仲間を感じたり、1人なのに、1人ではない感覚で歩いて登ることができるのです。
リトリートの体験はまさに、一人ひとりが感じるもので誰かにどうだったのか教えることは難しいことでもあります。
参加している人しか分からない何か
それぞれの中にある何か
その感じたことをシェアする時間を作りたいと思っていました。
登拝を終えた後は参加者全員が疲れていたけどお顔が清々しかったのも印象的でした。
みんなでお昼を食べた後に行ったオープンダイアローグもとても良い時間になりました。
このお話しはまた次回に