出羽三山の旅へ行ってきました

8月、今年も出羽三山の講の旅に行ってきました。山形県にある出羽三山は、月山・羽黒山・湯殿山の三つの山を指します。昨年初めて訪れてから、今年で2回目。
同じ場所を訪れているのに、今年の旅は昨年とはまったく違う気持ちで帰ってきました。

湯殿山で感じたこと

今年初めて訪れたのが、湯殿山。昨年は行けなかったんですが、今年は渋滞にはまることもなく行けました。湯殿山は、山そのものが御神体とされている場所です。
神社の中には「語るなかれ、聞くなかれ」という言葉があり、御神体については人に話してはいけないとされています。
実際にその場所に立ってみると、何かを「見に行く」というよりも、山そのものに包まれているような感覚がありました。とても静かで、でも冷たい静けさではなくて。

山に包まれているような、神様にそっと抱かれているような、そんな優しい気持ちになりました。

そして今回、旅の最終日にもう一度湯殿山を訪れ、日帰りで「産湯」にも入ることができました。最後にもう一度、湯殿山に入る。そのこと自体がなんだかとても特別で、旅の始まりと終わりがつながったような、不思議な気持ちになりました。旅の出会いも多くあり、なんだかずっと笑っていたような旅だったと感じるのは始まりと終わりが同じ山であったこともあるかもしれません。
言葉にするのは難しいのですが、「来ることができてよかった」という気持ちが、静かに残っているように感じました。

昨年の月山

そして、私にとって大きな意味があったのが月山でした。昨年も月山に登りましたがもう私自身、体力、運動能力共に無知だったことを痛感した登拝でした。
旅でみんなでワイワイ登ると思っていたら、全然そんなレベルじゃなかった・・・舐めていたわけではないんだけど、自分の無知さを呪った登拝になりました。途中から悪くなっていく天候と初めての山小屋では嵐のような暴風に怯え、翌日本当に下山できるのかと怖くて全然眠れませんでした。
山そのものの厳しさを感じました。怖かった。帰りたくて、泣きたくなるような気持ちになりながら夜を明かしました。

一緒に登ってくれた人たちに対して、
「私みたいな、みんなの足手まといが来てよかったんだろうか」
「迷惑をかけてしまったな」
そんなふうに、自分を責めるような気持ちにもなりました。もちろん、昨年の旅がつらいだけだったわけではありません。一緒に旅をする楽しさもあったし、山に登ったことも、みんなと過ごした時間も、とても楽しかった。
それでも、自分の中には「申し訳なさ」や「不甲斐なさ」が強く残った旅でもありました。

そして今年の月山

今年は、天気にも恵まれました。もちろん月山は、今年もハードでした。汗だくになりながら、途中休憩しながら山を登っていきます。すぐに息が上がるけど、この日のためにやってきたピラティスで体幹ができているからか、スピードについていける自分がいる・・・これがとても嬉しかったです。
だからといって楽に登れる山ではありません。
それでも、怪我をすることもなく、自分の足で一歩一歩登ることができました。
そして何より嬉しかったのは、自分の荷物を誰かに持ってもらうことなく、山頂まで上がれたこと。
昨年の自分を知っているからこそ、そのことがとても嬉しかった。
「ちゃんと自分でここまで来られた」
そう思えたことが、今年の月山で一番心に残っています。
昨年の旅が、私にとって「申し訳なさ」や「不甲斐なさ」を実感する旅だったとしたら、今年は「感謝」が溢れる旅でした。
天気がよかったこと。怪我なく登れたこと。一緒に歩いてくれル人がこと。

山伏修行のときは黙々と己の修行をしているのですが、旅では登山、途中で自然の美しさに目を奪われたり、山小屋でのスイーツに舌鼓を打ったりと楽しい時間もあります。
それを一緒に共有できる人がいるということがとてもありがたく感じたのでした。

携帯に赤とんぼが止まっていて一緒にパチリとしてもらいました。
登拝中もたくさんのとんぼに励まされながら登ったのでもはや相棒だという感じ。

一人旅と、誰かとする旅

私は一人旅も好きです。自分の好きなところへ行って、好きな時間に動いて、好きなものを見て。
自由で、気楽で、それはそれでとても楽しい。でも今回の旅を通して、「同じものが好き」という人と一緒に旅をすることには、一人旅とはまた違った楽しさがあるんだな。
と改めて感じました。
同じ山を見て、同じ場所に立って、同じものを感じる。自分一人では気づかなかったことを教えてもらったり、誰かの感じ方を聞くことで、同じ景色が少し違って見えたりする。
そして、自分が誰かに何かをしてもらうだけではなく、
「一緒に行けてよかった」
と思ってもらえる自分でありたい、とも思いました。
昨年の私は「迷惑をかけているかもしれない」という気持ちでいっぱいでした。
今年は「一緒に行けてありがたい」という気持ちでいっぱいでした。同じ場所を訪れても、自分の心の状態によって、受け取るものはこんなにも違うのだなと思います。
旅というのは、場所へ行くことだけではなくて、そのときの自分自身を知ることでもあるのかもしれません。

今年も、たくさんのものを受け取って帰ってくることができました。月山から羽黒神社、大聖坊、湯殿山から、そして、一緒に旅をしてくれた人たちから。
来年もまた、ぜひこの講の旅に行きたいと思います。そのときの私は、どんな気持ちで山を歩くのだろう。どんなものを受け取って帰ってくるのだろう。そんなことも楽しみにしながら、また一年を過ごしていきたいと思います。

そして、10月になると鳳来寺山での山伏修行体験も敢行されます。
今年も万行できますように

一緒に旅した人や宿坊で偶然ご一緒したアメリカ人のナタリーさんと一緒に食事しました。
とても楽しくて、ずっと笑いっぱなしの素敵な旅になりました。

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