愛知県の鳳来寺山に山伏修行に行ってきました。
修行を無事満業し、昨日は心地良い疲労感とプルプル震える足で帰ってまいりました。
言葉では語り尽くせないほどの楽しい時間。幸せな時間を過ごすことができました。
気持ちがフレッシュなうちにこの内容を残したくて、ブログを書いております。
体はあちこち痛い・・・けれども、『行かなきゃよかった』とは微塵も思わないという不思議な体験をいたしました。
参加する前はとてもとても不安で恐れ慄いておりましたが、始まってしまえばなんとかなるものです。
親指の爪は黒くなり、つま先で歩くとギャン泣きしそうに痛いのですが。
それすらもお家に帰って「糾勵根(キュウレイコン)」湿布を試す良い機会だと顔は泣きながらも心はニマニマしていた私でした。
山伏修行は修行の内容を口外することはNGなので、具体的にどんな修行をしたのかはここでは書かないのですが、運動嫌い普段はインドアな私が2ヶ月以上も前から参加したいと思いドキドキしてその日を迎えました。
これまで働く女性のためのはり灸サロンと謳ってきた理由はいくつかありますが
自分自身がサラリーマンをしていた時に残業で遅くなり、体は悲鳴をあげているのにどこにも行けない(仕事が終わるのが遅くて病院や接骨院の空いている時間に行けない、土日は疲れすぎて体が動かなくて行けなかった・・・)という自分自身の体験から土日祝日は営業する事を決めていました。
その私が土日に休んで自分の為に(しかも、周りの人からしたらえ?山伏修行??なんで???ってなると思ってた)休む日が来るとは。この土日に休む事を許せるようになるまでに実に独立開業してから4年が経ってしまいました。
参加する前から随分と勇気が必要でした。
修行中は『無言の業』です。参加者が許されている言葉は「受けたもう。」の一つだけです。体育が苦手な人で参加している人なんてきっと私位だと思っていたけど、そんな人がチラホラいたのも楽しかったです。しかし、そういう人がいるからと言って自分が修行を満業できるという保証には全くならないわけで・・・。私の頭の中では『張り切って参加しているのに、修行途中リタイアしたらどうしよう・・・恥ずかし過ぎる』という事で埋め尽くされていました。
そしてこれは余談ですが、今回の山伏修行を主催したキャリアコンサルタント兼山伏の渡辺清乃さん自身もご自身が体育は苦手という異例の山伏なのです。(これについてはまたどこかでお話ししたいので今回はこのくらいにしておきます。)
少し肌寒いけど、気持ちのいい朝5時55分の電車に乗り鳳来寺山の麓の駅に降り立ってお家に帰り着いた夜の10時過ぎまで私の心はとても清々しいのと、幸福感で満たされていました。
本来の山伏修行というのは三日三晩だと聞いたことがあります。たった1日の山伏修行体験でしたが、こうやって小さな成功を重ねる事が出来、心から嬉しく思います。
修行は辛く苦しい物。そう思う人は多いと思います。その苦しさがあるから修行のあとには達成感があるのだと、体験する前の私も思っていました。
しかし、実際にやってみると辛く、苦しいかというとそういう事ではなく・・・。今もまだ「わかりません」笑
山に入り、無言の業を行うということは一人ひとりが自分の業をおこなっているということなのです。そして、その業は誰かに代わって貰うことは出来ません。自分自身でやり抜く以外方法はないのです。ただ一歩ずつ自分の体を進め、修行を満業すること。体は辛くても自分の中の魂はどんどんイキイキする瞬間を何度も感じました。(もちろんそれ以外の感情も生まれます)
誰のためでもない、私の修行は私にしか分からない物で
それは考えたり、調べたりすることでは分からないことなのだと痛感しました。
なぜ、私は参加するのだろう・・・。と何度となく考えましたが修行の間中答えは出ませんでした。
が最後に星野先達が言われた言葉が答えだったのだと思います。
『自分の中の無意識の心が修行したいって言ってたからきたんだよ』
そして、私はこれからも自分の修験道を歩き続けます。
私はこの修行で気づいたことは
・自分の心の傷は必ず自分自身で癒すことができる。たとえどんなに時間がかかったとしても。
修行の間に訪れる小休憩の間、何度も嬉しくて、幸せで涙が溢れました。
私の初めての山伏修行はひとことでいうと『幸福』でした。
修行中私はカメラをオフにしており写真が一枚もないので、また美しく優しい鳳来寺山の山の写真と共にブログにもアップしますのでよろしけれなご覧下さいね。